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旅のアルバム・バングラデシュ1980−1984

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カルナフリ川
カプタイダムから10キロメートル下流のこのあたりも川幅は2・300メートルはある。
(1980年6−8月撮影)
貯竹場
伐採された竹が筏に組まれて工場の近くに集荷される。
(1980年6−8月撮影)
原料荷揚げ用クレーン
集荷された竹は、このクレーンで工場の敷地に吊り上げられる。
(1980年6−8月撮影)
看護婦さんのデモ
ダッカの病院の看護婦さんたちの賃上げ要求デモ。 オフィスの窓からは大勢の人が見物していた。
(1980年1月撮影)
チャンドラゴーナの朝市
笑顔の子供が野菜や雑貨を売っている。
(1981年2−3月撮影)
チャンドラゴーナの商店
この店も子供が店番をしている。
(1981年2−3月撮影)
チャンドラゴーナの姉妹
写真を撮ろうとするとポーズをとってくれた。
(1981年2−3月撮影)
チャンドラゴーナのサッカー少年たち
ここに住む子供たちは、他の地域の子供たちと比べて非常に恵まれている。
(1981年2−3月撮影)
チャンドラゴーナの家族連れ
皆工場の社宅に住んでいる。 同じバングラデシュの中でもここは別世界だ。
(1981年2−3月撮影)
渡し舟
対岸には少数民族の仏教徒が住む村がある。 この渡し舟で渡ることができる。
(1980年6−8月撮影)
仏教徒の子供たち
工場の社宅に住むムスリムの子供たちと比べると貧しいことが一目で分かるが、皆笑顔で元気だ。
(1980年6−8月撮影)
夕方の水浴び
仏教徒の家族は川の浅瀬で水浴びや洗濯をしていた。 生活用水はすべてこの川から断崖の上の家まで運んでいるのであろう。
(1980年6−8月撮影)
帆掛け舟と工場
工場の脇を荷物を積んだ帆掛け舟が通る。 この川は荷物の運搬に重要な役割を果たしている。
(1980年6−8月撮影)
社宅の前でくつろぐ人々
工場の社宅には水道・電気・サニタリー設備が整っている。 家族はゆったりとした生活を送っているように見受けられた。
(1980年6−8月撮影)
農作業
チャンドラゴーナ郊外の農家では、干草を降ろしていた。
(1980年6−8月撮影)
チャンドラゴーナの女性と子供
ここに住む女性や子供は、いつもおしゃれをしている。
(1980年6−8月撮影)
チッタゴンの煙草屋
ここでも子供たちが煙草を売っている。
(1981年3月15日撮影)
チッタゴンのバス停
ここからダッカまで乗り合いバスの旅が始まる。
(1981年3月15日撮影)
メグナ川のフェリーの渡し場
対岸までは1000メートルほどある。 バス2台とその乗客を乗せて約1時間で渡る。 バスが転覆したときの用心に、乗客はバスから降りることを勧められる。 忠告を守る人は少なく、屋根の上にいる人も降りてこない。
(1981年3月15日撮影)
フェリーの上の弁当屋
どこでも商売。
(1981年3月15日撮影)
メグナ川のフェリー
木造の筏の両側にエンジンルームと操舵室が付いたシンプルな構造。
(1981年3月15日撮影)
リキシャ
ダッカのバス停に到着すると、多くのリキシャが客待ちをしていた。 運賃の交渉の後リキシャに乗り込み、ホテルに向う。
(1981年3月15日撮影)



思いつくまま(バングラデシュの思い出)
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