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モーツァルト広場より望む。
(2006年5月30日撮影)
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1842年9月モーツァルトの息子出席のもと除幕式が行われた。 モーツァルト広場にて。
(2006年5月30日撮影)
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ホーエンザルツブルク城塞のテラスから望む。 レジデンツは歴代の大司教たちの宮殿で、現在の建物は1619年に完成した。
(2006年5月30日撮影)
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ホーエンザルツブルク城塞のテラスから望む。 写真中央のザルツァッハ川が曲がるところにミラベル宮殿と庭園がある。
(2006年5月30日撮影)
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(2006年5月30日撮影)
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大聖堂の中庭。
(2006年5月30日撮影)
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最初の大聖堂は774年に建立され、1181年から1200年にかけて後期ロマネスク様式に改築された。 その後も火災・戦禍により破壊されたが1956年に再建された。 モーツァルトはこの大聖堂で洗礼を受け、教会並びに宮廷オルガニストとして演奏し又多くの宗教曲を作曲した。
(2006年5月30日撮影)
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レジデンツ広場より望む。 内部のパイプオルガンはヨーロッパ最大級で6,000本のパイプが使用されていると言う。 カラヤンの葬儀もここで行われた。
(2006年5月30日撮影)
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旧市街で最も広いレジデンツ広場の中央にある。 1659年から1661年にかけて建造された。
(2006年5月30日撮影)
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1756年1月27日の夜、モーツァルトはこのビルの4階(ヨーロッパ式の3階)で生れた。 1773年秋にマカルト広場の家に引っ越すまで、モーツァルト一家はこの家に住んでいた。
(2006年5月30日撮影)
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幅3mほどの商店街。 この通りの9番地にモーツァルトの生家がある。
(2006年5月30日撮影)
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ゲトゥライデガッセには、大学広場の方から建物の中庭を通り抜ける道がたくさんある。 抜け道からモーツァルトの生家を望む。
(2006年5月30日撮影)
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新市街(左)から旧市街(右)に渡る橋。 遠くに見えるのがモーツァルト小橋。
(2006年5月30日撮影)
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モーツァルトはこの家に1773年から1787年まで住んでいた。 戦災でほとんどが破壊され、戦後は新しく博物館が建設された。 その後1994年にこれを取り壊し、モーツァルトが住んでいた当時の姿に再建されて1996年にオープンした。 日本からも多額の寄付金が寄せられた。 家の内部から入口の方向に向かって写す。
(2006年5月30日撮影)
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ギリシャ神話にヒントを得た石像・噴水・花壇が美しい。 宮殿は1606年に建立され、その後1818年の火災のあと現在の形に修復された。
(2006年5月30日撮影)
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(2006年5月30ミラベルとは美しい眺めと言う意味。 城と旧市街の眺望がすばらしい。
(2006年5月30日撮影)
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(2006年5月30日撮影)
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宮殿の2階にあるマルモアザール(大理石の間)で演奏会が行われた。 プログラムはバッハとモーツァルトとシューベルトの小品。 ここでモーツァルト一家も演奏していたと言う。
(2006年5月30日撮影)
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ホテルの部屋の壁に複製画が描かれていた。 モーツァルトの父レオポルドがヴァイオリンを弾き、モーツァルトがピアノを弾き、姉のナンネルが歌っている。
(2006年5月30日撮影)
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(2006年5月31日撮影)
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ウィーン西駅行きオーストリア国鉄OEC561に乗る。
(2006年5月31日撮影)
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現在自分がいる位置と乗車する車両の位置をこの表で確認することができる。 ドイツもオーストリアも同じ方式。
(2006年5月31日撮影)
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列車番号・列車の種類・発車時刻・停車駅・終着駅・自転車持込可否等をこの表で調べる。 ドイツもオーストリアも同じ方式。
(2006年5月31日撮影)
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(2006年5月31日撮影)
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ハプスブルク家の象徴。 女帝マリアテレジアは16人の子供を生んだ。 末娘マリーアントワネットが、15歳でフランスの王家に嫁ぐまでこの宮殿で育った。 ナポレオンがウィーンを占領したときはこの宮殿を宿舎として使い、『会議は踊る』で有名なウィーン会議を開いた。
(2006年5月31日撮影)
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庭園の奥の小高い丘の上にある。 戦いで命を落とした臣下のための記念碑。 手前のドームは野外演奏用テント。
(2006年5月31日撮影)
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宮殿のバルコニーからグロリエッテを望む。
(2006年5月31日撮影)
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モーツァルトが6歳のとき、マリアテレジアの前で初めて演奏した。 中央にハウゲンナウアーの噴水が見える。
(2006年5月31日撮影)
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シェーンブルンとは美しい泉の意味。 庭園には多くの噴水がある。
(2006年5月31日撮影)
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市立公園の南の端にある。
(2006年6月1日撮影)
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市立公園の中を流れている。
(2006年6月1日撮影)
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市立公園内にある。
(2006年6月1日撮影)
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市立公園内にある。
(2006年6月1日撮影)
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市民公園内にある。
(2006年6月1日撮影)
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歩行者用と自転車用に分かれている。 歩道だけで3通りある。
(2006年6月1日撮影)
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ウィーン大学の前から望む。
(2006年6月1日撮影)
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1365年に創立。 12人のノーベル賞受賞者を出している。
(2006年6月1日撮影)
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ベートーヴェンは35年間ウィーンに住んだが、その中の8年間をこのアパートの4階で過ごした。 交響曲第4・5・7・8番・オペラフィデリオがここで作曲された。
(2006年6月1日撮影)
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1872年から1883年にかけて建てられた。 塔の高さが教会を超えて100m以上になるのを抗議され98mになった。 手前の公園には、日本から贈られた桜が植えてある。
(2006年6月1日撮影)
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1883年に建造されたギリシャ神殿風の建物。 フェンスや警備の人もいない。
(2006年6月1日撮影)
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アテネの女神像の足元の彫刻群。
(2006年6月1日撮影)
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国会議事堂の前に立っている。
(2006年6月1日撮影)
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ヨーロッパの三大美術館の一つといわれる。 ルーベンスとブリューゲルのコレクションは世界一。
(2006年6月1日撮影)
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自然史博物館と美術史博物館がこの像を挟むように建っている。
(2006年6月1日撮影)
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ブルクトーアとも言われ、ヘルデン(英雄)広場のリンク側にある。 第1次世界大戦の戦没兵を追悼する聖所となった。 王宮への裏玄関ともいえる。
(2006年6月1日撮影)
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観光馬車が行く。
(2006年6月1日撮影)
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1860年以降の建物。 ヘルデン(英雄)広場から見る。 左がカール大帝騎馬像。
(2006年6月1日撮影)
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ヘルデン(英雄)広場から望む。 ブリュッセルの市庁舎をモデルにしたという。
(2006年6月1日撮影)
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中央にあるのが、ホーフブルク中庭からミヒャエル広場への通路。 正面が宰相宮で左側がスイス宮。
(2006年6月1日撮影)
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左はフランツ1世記念碑。
(2006年6月1日撮影)
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ホーフブルク(王宮)中庭にある。
(2006年6月1日撮影)
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コークマルクト通りからの眺め。
(2006年6月1日撮影)
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ペスト流行の終焉に感謝するために、レオポルト1世が1679年に建立した。 グラーベン通りにある。 ブダペストなど、ヨーロッパの他の都市にもある。
(2006年6月1日撮影)
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12世紀から建立が始まり、1359年に完成した。 137mの南塔は寺院の塔としては世界で3番目の高さ。
(2006年6月1日撮影)
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(2006年6月1日撮影)
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ウィーン市民はこの塔を、愛着を込めて『シュテッフル』と呼ぶ。
(2006年6月1日撮影)
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1869年5月にモーツァルトの『ドンジョバンニ』でこけら落しが行われた。 戦後再建され、1955年11月にベートーヴェンの『フィデリオ』(カールベーム指揮)で再開された。
(2006年6月1日撮影)
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