ここで私は、この装置の設置についてとやかく言うつもりは毛頭無い。 ただ若者の耳が羨ましく嫉妬心を抱いただけである。 人の耳には通常、20Hzから15,000〜20,000Hzの音が聞こえるという。 人の可聴域は個人差が大きいので一概には言えないが、加齢とともに狭くなり一例として下記のようなデータがある。 2年ほど前、個人的な仕事でドイツに出張したとき、たまたま機内でヤマハのエンジニアと隣席になった。 彼の話では19歳が聴覚のピークで、それ以降は加齢とともに下降の一途を辿るという。 60歳までの会社員時代は、年に一度の入院ドックを半ば強制的に受けており、その中に無音室での聴覚測定があったことを思い出した。 検査のたびに「年相応に正常ですよ」と言われて満足していたのであるが、いつの間にか10,000Hzくらいまでしか聞こえなくなってしまったとは実に口惜しい。 私は子供の頃から音楽が好きで、母の持っていたSPレコードを聴いて育ったが、良い音で聴きたいと思うようになったのは高校生になってからのことである。 当時メディアとしては磁気テープも出始めてはいたが、LPレコードが主流であった。 レコード自体が、プラスティック盤の音溝に刻まれた音の振動を針で物理的に取り出すわけであるから、埃や振動の影響を受けやすくスクラッチノイズを始めとした様々な音楽以外の雑音が一緒に再生された。 再生装置からの雑音も気になって仕方がなかった。 当時のターンテーブルの駆動源は高級機を除いて交流モータが使用されていたため、ワウ・フラッター(回転むら)にも悩まされた。 レコードの再生回数が増えると、音溝の磨耗により高音域が減衰することも気がかりだった。 更にダイアモンド針の寿命にも常に気を配り、高音域に僅かな変化が生じると、顕微鏡で磨耗状態を調べ早めに交換した。 再生装置の性能についても、プレーヤ・アンプ・スピーカーの夫々について、小遣いの大半をこれらの改良につぎ込んだ。 例えばプレーヤについては、音の入り口である針の太さ・針圧(針にかける重量)の調整・アームの形状とダンピング特性・ターンテーブルの材質(アルミ製など)・モータの動力伝達機構(ベルトドライブなど)・振動吸収の方法など、良いと思われることは全部試した。 アンプについては高出力低歪を実現するためのプッシュプル回路の採用・低音域を伸ばすための大型出力トランスの採用・ハムを抑えるため真空管に直流ヒータを採用するなど、書籍や雑誌に載っている最新の配線図を参考にした。 スピーカについては、当時一般的に入手できる最大口径12インチウーハーと、高音再生専用のトゥイーターを組み込んだバスレフレックス型スピーカーボックスなどを自作して聴き比べた。 MN君という親友がおり、彼は音楽を聴くのが好きというよりはむしろ良い音、即ち50Hz以下の低音から20,000Hzまでの音をフラットに出せる再生装置を作ることに専念していた。 従って、レコードは再生装置の出来を耳で確かめるためのサンプルであり、その目的に合ったレコードを推奨するのが私の役目であった。 ムソルグスキー作曲・ラヴェル編曲の「展覧会の絵」(アンセルメ指揮・スイスロマンド管弦楽団・ロンドン盤)、リムスキー・コルサコフ作曲「シェエラザード」(アンセルメ指揮・スイスロマンド管弦楽団・ロンドン盤)、ドボルザーク作曲「交響曲・新世界」(クーベリック指揮・シカゴ交響楽団・エンジェル盤)など、ダイナミックレンジが広くオーケストレーションの華やかな曲を数曲紹介した。 私は音楽をより良い音で聴くために再生装置に興味を持ったのに対し、彼はその逆で良い音を出す再生装置を作るために音楽を聴き、やがて音楽を聴くことが好きになってしまった。 彼はオシロスコープが欲しくてたまらなかったが、当時の高校生の手に届くような値段ではなかったため、自作した装置の評価にはレコードを掛けて聴き比べるのが最も確実で簡単な方法だった。 お互いに定年を迎えて自由に使える時間に余裕ができ、これから旧交を温めようと思った矢先、すい臓がんで急逝してしまったことは残念でならない。 レコード会社によっても音質や音の特性に大きな差があった。 例えばロンドン盤はダイナミックレンジが広く高音の伸びが良いが、高音を上げると音がシャリつくような感じ、エンジェル盤やコロンビア盤は音のバランスが良く整った音ではあるが高音・低音とも少々物足りない感じ、ヴィクター盤は高音が伸びず音がこもるような感じなどである。 いずれも計測器で測定したわけではなく、私の主観的な記憶であり、録音環境によっても違いがあったと思われるが、レコードを聴くと何処の会社のレコードか大体見当がついたものである。 ステレオ録音の45−45方式のチャネルセパレーションにも限界があり、レコードによっては分離が悪いものも数多くあった。 このように音に対して極めて神経質だった私も、最近はかなり鈍感になったことを自覚せざるを得ない。 市販のパイオニア製・標準型CD/MDプレーヤ・アンプ、1970年代の三菱電器製・電子制御フルオートマティックレコードプレーヤー、1970年代の松下電器製・テクニクス3ウェイスピーカーシステム(10インチウーハー・ハニカムディスク式ミドルレンジ及びトゥイーター付きバスレフレックス)で満足している。 若い頃の夢は、遮音設備を施した16畳ほどのリスニングルームに大掛かりな音響装置を設置して、コンサートホールと同じほどの大音響で音楽を聴くことであったが、そのような望みもいつの間にか失せてしまった。 その理由は音への執着が以前ほど強く無くなったことで、これは偏に私の耳の聴覚レンジが狭まったことに由来するのではないかと思っている。 一般的なオーケストラの楽器は、基音(注1)の周波数が5,000Hz以下に入る。 パイプオルガンやシンバルなどを除いて、基音の周波数レンジが最も広い楽器はピアノで、88鍵の場合最低音のA0(注2)が27.5Hz、最高音のC8(注2)が4,186Hzであるから、基音さえ聞こえればよいのであれば、5,000Hzまで聞こえる耳を持っていれば充分ということになる。 しかし総ての楽器の音は基音の他に多くの倍音(注1)を含んでおり、ほとんどの楽器の倍音を含んだ周波数レンジは20,000Hzを越える。 即ち20,000Hz以上が聞こえる耳を持っていないと、楽器の出す総ての音を聴くことはできないということになる。 例えばピアノの中央の“ド(C4)”の鍵を叩くと当然“ド(C4)”の音が鳴るのであるが、これはたまたま基音“ド(C4)”の音が目立っているだけで、実際にはたくさんの倍音(第2倍音、第3倍音、第4倍音・・・・)が混ざりあって聞こえているわけである。 例えば“ド(C4)”の倍音は次のようになる。 楽器の音の周波数分布を見ると、倍音が多く波形が複雑なほど音色が豊かな楽器と言える。 フルートは倍音が少ないため純音(注4)に近く、ヴァイオリンやオーボエには多くの倍音が含まれている。 同じヴァイオリンでも、安いヴァイオリンとストゥラディヴァリウスのような名器とを比べると倍音の強さに違いがある。 高い周波数の倍音成分が豊かなストゥラディヴァリウスの方が、耳に心地よく響く艶のある美しい音色のようである。 しかもそのような高い周波数の音は、しばしば人間の可聴範囲を超えているというから不思議である。 人間の脳と音について研究しているある学者は、「周波数が20,000Hzを越える超音波には人間を感動させる効果がある」と主張している。 高い周波数成分が豊かなインドネシアの民族音楽・ガムランを素材にして、そのままの録音と超音波成分をカットした録音を聴き比べる実験をしたところ、高い周波数成分を含むそのままの録音を聴いた人の脳には、アルファ波(α波)と呼ばれる脳波が強く現れたという。 アルファ波は快適と感じるときに現れることで知られている。 人間の聴くことが出来る音域は最大でも20〜22,000Hzくらいまでであるが、アナ ログレコードには22,000Hz以上の音も録音されていた。 CDになってからは、22,000Hz以上はカットされてしまい、その結果ドライでツヤのない音になってしまった。 今から20年ほど前に初めてCDに録音された音楽を聴いた。 LPに比べて音質が良く、ノイズが全く無いという触れ込みであった。 カラヤンの最新録音であったが、「何だ! この程度の音か!」という印象で失望したことを覚えている。 文部省の放送教育開発センターの実験によると、人間の耳には聞こえないはずの22,000Hz以上の音をカットしたCDを聞かせるとアルファ波が減少し、アナログレコードを聴かせるとアルファ波は増加したという。 この研究によれば、「モスキート」のような単一音でなければ、高い周波数の音にはたとえその音が聞こえなくても、意識をリラックスさせる効果があるようだ。 一流の指揮者や演奏家が円熟味を増すのは、少なくとも50歳を過ぎた頃からである。 朝比奈隆のブルックナーやベートーヴェンは晩年の演奏も全く衰えを見せず、海外の大指揮者たちの多くも亡くなる直前まで素晴らしい演奏を聞かせてくれた。 楽器の演奏家の晩年は技術の衰えがあるため、指揮者のようなわけにはいかないが、それでも晩年のルービンシュタインのショパンやギーゼキングのドビュッシーは、今も尚右に出る演奏は見当たらない。 彼らがみんな特別な耳を持っており、70歳を超えてからでも20,000Hzまで聞こえていたとは考えにくい。 音楽評論家と呼ばれる人たち或いは音楽ファンや音響ファンの中には、私が若い頃に夢見ていたような大掛かりなリスニングルームと再生装置を、金に糸目をつけずに構築して楽しんでいる年配者が多い。 彼らが良い音を追求していた若い頃には、安価な再生装置で我慢していたが、ようやく金銭的にも余裕ができて良い装置を持てるようになった頃には、聴く耳の性能が落ちてしまっているのは皮肉である。 しかし彼らは、若い頃の夢を実現するだけの目的のために、あのような大掛かりな装置を作ってほくそえんでいるのであろうか。 私はそうではないような気がする。 確かに高音部は耳では聞き取れなくても、生の演奏を忠実に再生した音には、人間の身体の何処かに作用して人を幸福にする何かがあるのかもしれない。 優れた指揮者が年を重ねて、耳が遠くなったとは言えないまでも、確実に可聴域が狭くなってからでも、若い楽員たちを相手に音の細かいところにまで指示できるのは、音が聞こえていないとできないことなので不思議と言うほかは無い。 年配の演奏家がより良い楽器を手に入れようとするのも、単にステータスシンボルのためだけではないような気がする。 10,000Hzくらいまでしか聞こえない耳でも、ストゥラディヴァリウスの良さを感じることができる何かがあるのかもしれない。 久しぶりにベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」と「幻想交響曲」をLPで聴いた。 演奏はレナード・バーンステイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(コロンビア盤)。 脳にアルファ波がたくさん出てきたようだ。 注1. 参考ウェブサイト |